2023年11月19日
11月3日(金)から6日(月)、台湾へ。コロナに阻まれたこの数年間、待ちわびたはずの海外一人旅。独立したばかりでとうぜん家計は厳しく、気持ちが萎えかけていた。しかし、ある日、松浦弥太郎の映画『場所はいつも旅先だった』を見ていたら台湾のことが出てきて、「あっ」とまるで忘れ物に気づいたように即決断、ネットで航空券とホテルを予約した。パスポートが切れていなかったか、一瞬焦ったけれどあと2年残っていた。
海外への一人旅も3度目となり、最低限押さえておくべきポイントなども少しずつ身についてきた。それと、今回はコロナ明けで、世の中も自分もデジタル化が進んだことにより、いろいろとスムースさが増した旅となった。
大都会だけれど昔ながらの風景も多く残す台北。
奥にそびえたつのは、509mの高さを誇る「台北101」。
初めて訪れた台湾は、今まで行った外国の中でもっとも日本人観光客が多かった。一人でぶらぶら歩いたり、食事をしたりしていると、どこからともなく聞こえてくる日本語の会話。「この臭豆腐のにおいマジでやばくない?!」。「すご〜い、こんなのあるんだ」。「ああ、確かにうまいね、日本の〇〇に似てるね」。もちろんその発言内容にいっさい反感などないし、異国での安心感を与えてくれるありがたい存在ではあったが、そんな日本語が聞こえてくると、たいていその場をそっと離れた。
星野道夫の『旅をする木』という本の中に、忘れられない箇所がある(この本は忘れられない箇所だらけなのだが)。アラスカの氷河の上で野営をしながら、降るような満天の星空の下、友人と交わした会話を星野氏は回想する。
「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」
「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」
「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって・・・・・・その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」
(星野道夫『旅をする木』〔文春文庫、1999年〕P. 119-120より)
桃園空港からバスに乗り、台北駅に降り立ったとき、駅に面した幹線道路「市民大道」から聞こえてきたすさまじい喧騒。そんな大きな道路でもつねに先頭で主役であった、無数の原付バイク。人気の食堂で、全員腰にコルセットを巻きながら、途切れない客らを次から次へとさばく従業員たち。夜市で大行列のジュース屋台をどこかふんわりと、でもきっちり連携プレーで切り盛りする女性2人組。同じく夜市でごった返す人の中、接客の合間に、隣の屋台の下に置かれたキャットフードの横に水の入った器をさっと置いた人。特に混んでいない地下鉄の車内で、たまたま乗り込んできた知り合いでもない人に(あの席空いてるよ)と指差した人と、(あっちも空いてるからあっちに座る)と指差した人との、なんとなくの気分で交わされた無言のやり取り。“I’m sorry, I’m Japanese.”と言ったのを「アハハ」と受け流し、そのまま現地の言葉で自分の商品を猛烈にアピールし続けた人たち。などなど、などなど。
アラスカの降るような星空とはスケールが違えど、これらもまた、写真でも絵でも言葉でも伝えられないという点では同じである。しかし、もし同行者がいたら、現地ですれ違った日本人観光客たちのように、ちょっとした感想を言い合って終わってしまうだろう。
見知らぬ土地を一人で歩き、見るもの聞くものすべてを一人で黙々と受け止める。反射的に感想を言い合える相手のいない中で、日常では気にも留めないようなささいなことも、自分の内部にじんわりと沁み渡ってゆく。そうして、自分が変わってゆく。そのことが、日常の身近な人たちとの関係をまた一歩豊かなものにしてくれるのだ。
グルメ夜市として知られる寧夏夜市の一角。
安全に旅ができ、そこに自由な子どもがいるという平和に感謝。