2024年04月19日
「パオ~んTIMES」でも毎号取りあげている『Working』という本の冒頭で、アメリカの作家ウィリアム・フォークナーの次のような言葉が紹介されている。
「人は一日に8時間食べ続けることも、8時間酒を飲み続けることも、8時間ベッドで愛し合うこともできない。8時間続けることができるのは仕事だけだ。そのせいで皆みじめで不幸せなのだ。」
「ブラック企業」という言葉が定着してずいぶん経つけれど、だからといって、世の中に、特にビジネスの世界に、ブラックと反対のホワイトが生まれることはない。永遠に、ブラックのグラデーションが続く。
雇い主が人を雇う理由は、支払う給料以上の働きをしてもらう以外にないからだ。逆にいえば、雇われた側の報酬は必ず「少ない」。雇い主と従業員との間には、絶対に崩れない壁が立ちはだかっている。
実在する自動車メーカーをモデルにした企業小説3部作『トヨトミの野望』『トヨトミの逆襲』『トヨトミの世襲』は、そんな壁にたいし、心の底では崩れないと知りつつも、崩そうとせずにはおれない人々を描いている。しかも、崩そうとするのは雇われる側でも、中小零細企業の雇い主でもなく、世界的な巨大企業の雇い主なのだから、おもしろい。
どのようにして崩そうとするのか。具体的には、トヨトミは、世界を代表する巨大企業になったあとも、創業家の「血統」を最重要視しつづける。
たとえば、創業家以外からたたき上げでトヨトミの社長に就任し、一気に世界進出をおし進めた“稀代の経営者”武田剛平。武田は、会社がこのような規模になった以上、これまでのように株式保有率たった2%の豊臣家が経営を主導して意思決定を行っていては将来はないと考え、持ち株会社を設立して豊臣家に経営から手を引いてもらうことを画策する。ところが、とたんにあっさりとクビを切られる。
武田にクビを言い渡したあと、創業家の血を引く会長・豊臣新太郎は言う。
「人は株のために働くのではない。人は人のために働くのだ。」(『トヨトミの野望』より)
株とは、言い方をかえれば、売上よりも経費を少なくして利益を生み出すことを意味している。それを真っ向から否定する発言は、一見とても倫理観があるようにみえて、実のところ「血統」という、経営能力とは何の関係もなく、一部の人のなかにだけ流れるものを第一に考え、守り抜きたい心の表れである。
はて・・・?
このような考えのもとで、企業とそこで働く人々はどうなっていくのか。
企業の存在意義である利益よりも、まず「血統=人」にこだわりつづける会社。しかしもちろん従業員という同じ「人」にたいしては、働き以上の給料を出していては潰れてしまうので、できない。会社の規模が大きくなればなるほど、ホンネとタテマエの間の溝が深まってゆく。
それでもトヨトミは闘いつづける。“逆襲”もするし、つづく“世襲”の実現にも余念がない。そして行きつくのがどんな姿なのか、もちろんこの3部作には一応結末のようなものがあるが、現実世界では物語はまだ続いている。
冒頭で触れた「絶対に崩れることのない壁」は、私たちを苦しめているようにみえて、実は守ってくれているのかもしれない。8時間仕事をし続けられる私たちは、確かにみじめで不幸せだけれど、実はそれこそが、「尊い人生」というものの正体なのかもしれない。