
2025年12月14日
11 月 23 日(日)、東京ビッグサイトで行われた文学フリマ東京 41 へ。

BIG SITE(大きな場所)ではなくBIG SIGHT(大きな名所)。
文学フリマとは、「作り手が『自らが〈文学〉と信じるもの』を自らの手で販売する」ための場で、東京をはじめとして全国各地で定期的に開かれている。私は初めて行ったが、第 1 回が開催されたのは 2002 年なので 、もう20 年以上の歴史がある。今年から東京ビッグサイトの巨大な会場で行われるようになり、第1回の出店数は約80だったのが、今回は約 3,200、来場者数は約19,000人にのぼった。

プロが作ったものからいかにも手作りなものまで、装丁も内容も多種多様な本が並んでます。写真の本は、表紙の写真が目に飛び込んできて思わず手に取ったもの。亡くなった父の知らなかった一面を知るために、息子である著者が、父と関わりのあった人たちへインタビューをしてまとめた作品。中身もとてもよかったです。
文学といえば、大学を卒業後、私は大学院へ進み文学研究に取り組んだ。学部の卒論で扱った、アメリカの作家ウィリアム・フォークナーの作品がすごく面白くて、もっと探究したかったからである。学費や生活費は奨学金でまかないながら、2年間朝から晩まで脇目も振らずに「文学」に没頭した。
では、そうやって時間とお金を費やして「文学」とは何なのか突きとめられたのかといえば、もちろんそんなことはない。文学フリマが「自分が〈文学〉と信じるもの」を掲げるのは、文学が、「言語を用いる」という以外に定義のしようがなく、途方もなく広大で奥深い表現形態だからでもあると思う。それでもそのとき探究し考えたことが、今の私の生きる力になっている。
もともと、文学フリマはコミケをモデルとしている。評論家であり漫画や小説などの作家でもある大塚英志氏が、とある論争をきっかけに文芸誌上で読者へ呼びかけたのが発端である。そのときの大塚氏の文章はそのまま文学フリマの公式サイトに掲載されている(「不良債権としての『文学』」(「群像」2002 年 6 月号))。
大塚氏いわく、いつの間にか「文学」は既得権と化した。売り上げがふるわなくなって久しく、ほかの出版物に助けられながらどうにか生きながらえているに過ぎないのに、文学に携わる人々はそうした現実から目を背けている。文学そのものがこの世から完全に無くなることはないにしても、このままではいつか、文学に関わる出版物(商品)は出せなくなってしまうのではないか。こうした事態を打開するために大塚氏が提案した具体策のひとつが、コミケにならうことだった。
「コミケ的なイベントに『文学』が学ぶことがあるとすれば、それが既存の版元以外の場所から新人が世に出ることを可能にしたという点、是非はともかく『同人誌で食っていける』 という状況を生んだ点です。(中略)そのような『場』を『文学』が用意できず『まんが』 が用意できたのは、はたして『まんが』の市場が巨大だったからだけなのでしょうか。それはやはりそのジャンルそのものの『生き残る意志』の問題のような気もするのです。」
「現状の『文学』の力でビッグサイトを満員にすることは不可能です。けれど東京都下の市民ホールあたりで同じものを開催することは至って簡単です。」
(「不良債権としての『文学』」より)
こうして始まった文フリは、20年以上の歳月を経てついに今年、コミケと同じ会場であるビッグサイトを人で埋め尽くしたのだ。大盛況の会場を興奮のうちに後にしながら、かつて「文学」に没頭し救われた一人として、大塚氏、これまで文フリを運営してきた方々、そして、これまでの無数の出店者たちに感謝の気持ちでいっぱいになった。

とんでもなく広い会場で、偶然にも坂口恭平氏を発見。参加されていることをまったく知らなかったのでラッキー!!イケメンぶりに顔を赤くしながら「私も熊本からきましたあー」と言って新刊にサインをもらいました。
「文学」を特別なものにしたがる人や、その既得権益にすがりたがる人は昔も今もたくさんいる。いわゆる最悪の人たちだ。しかし、じゃあ自分はそれらに抗うために何か行動してきたのかというと、何もしていない。文学を自分のなかの大事なものとして密かに胸に抱きながら、それを糧になんとか現実を生き延びてきただけだ。もしかしたら気づかないうちに「あなたたちにはわからないでしょう・・・」みたいな思考になって、あの最悪の人たちとたいして変わらない態度をとっていたかもしれない。
会場で、あるブースを通り過ぎようとしたとき、その向こうから小冊子が差し出された。「無料なのでもらってください、、、!」。若い女性が手を震わせながら精一杯腕を伸ばしていた。私はこんなふうに、勇気を出して、震える手で、自分の大切な何かを見知らぬ誰かに差し出したことなんてあったかな。まぶしくて直視できず、少しうつむきながら会釈をして受けとりその場を去った。
これから先、私は「文学」の分野で何か行動ができるだろうか。文学はよくわからないものであるということ。それでもなぜか現実を生きる力になるということ。それはさておきとにかくめちゃくちゃ面白いということ。誰にでも身近なものだということ・・・。できるなら、そんなことを伝えられる「場」をつくることで、「ジャンルそのものの『生き残る意志』」を表現する者の一人になってみたい。そうだ、勇気を出して、たとえ震えながらでも。