パオーンtimes

VOL 5|2023年11月号

●Translation: ゴミ収集作業員 ●Learning: 夢(実践編)

Translation

 

~時代と海を超えた、はたらく人々からの手紙~

1974年、アメリカで『仕事』(Working)という
ぶあつい本(約800ページ)が刊行されました。
作家やメディアで活躍するStuds Terkelが
膨大な数の「普通の人々」に直接会いに出向き
彼らの自宅やレストラン、ときにはバーなどで
仕事に関する話を聞いたインタビュー集です。
仕事とは? 生きるとは? 人間とは?
血の通った教科書のようなこの本から
毎月一人ずつ、一部抜粋・翻訳してお届けします。

 

58歳・男性。50歳と69歳の同僚と働く。これまでの7年間、清掃関係の夜勤の仕事をしていたが、負担を感じ今の仕事に転職。

世間では、トラックに荷積みする人たちと言われています。私たちはただの肉体労働者で、それ以上でも以下でもありません。色気も何もないし、一日中、重たいものをあっちにやったりこっちにやったりしているだけです。

190リットルのドラム缶を持ち上げます。中身にもよりますが、重さはだいたい40キロから100キロの間くらいじゃないでしょうか。一日に持ち上げる缶の数は、200近くになると思います。数えてみたことはありませんが。時々、びっくりするくらい重いときがありますよ。なんかすごく重たいものでも入れるんでしょうか。石膏とか(笑)。

トラックに安全装置はありません。後部のホッパー内の刃が詰め込んだゴミを掻き出すとき、銃弾のようにゴミが飛び出してくるんです。木片が顔に飛んできてケガをしたこともあります。危険な仕事ですね。何が捨てられているか分かりませんから。硫酸が捨てられていたこともあります。

一日が終わるころにはへとへとに疲れています。負担が体にこたえるようになってきて、たまに妻に愚痴をこぼすと、「じゃあ他の仕事探したら」と言われます。自分の年齢で、いったいどこに他の仕事があるというんでしょうか。

自分の仕事を見下したりはしません。この仕事をしているからと言って自分を軽蔑したりはできませんよ。以前オフィスで働いていたときよりも気分は良いです。より自由ですから。それに、そうですね、社会にとって意味のある仕事ですし(笑)。

【出典】
Studs Terkel,
Working: People talk About What They Do All Day and How They Feel About What They Do,
New York: Ballantine Books, 1985, pp. 150-153.

 

Learning

 

~フロイト式世渡りことば~

精神分析学をご存じでしょうか。
今からおよそ100年ほど前、
オーストリアの医師ジークムント・フロイトが
人間の心を探求し、つくり上げた学問。
一見難しそうですが、とても親しみやすい内容で
日常を生き抜くヒントにあふれています。
そんな理論から浮かび上がる“世渡りことば”で
人生の荒波をたくましく乗りこなしましょう!

 

精神分析学の根幹である「失錯行為」や「夢」。今後もまた折に触れて出てくると思いますが、ひとまず今回でひと区切りです。そこで今回は実践編として、今までの内容もふり返りながら、夢の解明だけでなく、生きることやクリエイティブにも役立つ「夢解釈の方法」について紹介します。

夢に関する考察をひととおり話し終えたフロイトは、興奮を抑えきれないかのようにこう言っています。「こんなにも複雑な心の動きが、すべて無意識的に起こりうるなんて! これは何と雄大な、私たちをどぎまぎさせる結論だろうか!」

私たちは、今では平気で、さも分かったように「無意識」という言葉を口にします。しかし、そのような視点がまだなかった当時に思いを馳せながら、フロイトが見いだした心の中の新たな領域とその働きがどんなに画期的なものだったか、想像するだけでもワクワクしてくるほどです。

見過ごされてきた「うっかりミス」に着目し、ていねいな観察によってそれらに内容や目的を持たせながら、大きく立ちはだかる「意識」の奥へと探究をはじめたフロイト。同じ向きあい方で、こんどは対象を「夢」に変えて未踏の闇へと分けいり、そこに複雑で豊かな広がりを見いだしていったのです。

「意識」ないしは「社会の要求する理想」に反する「いまわしい領域」について知らされることは、もしかしたら余計なお世話だったでしょうか。できれば知らないまま、社会の理想を体現しながらクリーンに生きたかった人もいたかもしれません。しかし実際は、救われる人のほうが多かったのではないかと思います。

まだ「無意識」の概念がなかった時代でも、原始的な世の中だったところから次第に「社会」が発達するにつれて、人びとの心に“モヤモヤ”が芽生えはじめ、そこはかとなく不気味な印象が持たれていたに違いありません。そこで、フロイトのような人が、その不気味な世界に分けいり、それまでの常識では考えられなかったメカニズムを明らかにしたのです。

そのことは、モヤモヤや不気味さの軽減にはなっても、不安や恐怖をさらにあおることにはならなかったはずです。アメリカの思想家エマーソンも言っているように、「恐怖は常に無知から生じる」のです。

それでは最後に、人生やクリエイティブに役立つ「夢解釈の方法」をまとめて終わりにしたいと思います。昨日みた夢を解明したい、わけも分からず自分をどぎまぎさせるものについて探求したい、人をあっと言わせるものを創造したいときなど、もしよければ参考にしてみてくださいね。

《自由連想と象徴的な解釈》
ふだん私たちをがんじがらめにしている意識の鎧から自由にならなければ、深層にたどり着くことはできません。鎧を脱ぎ捨てる方法として、「自由連想」や「象徴的な解釈」がありました。前者は、「ああすればこうなる」式の考え方をやめて、理屈を抜きにして思い浮かんだものごとを次から次へと挙げていくこと。後者は、私たちが生まれる前から人びとの間で連綿と受け継がれてきた「よくあるたとえ」を活用することです。

《夢の作業》
心の奥に潜む記憶や思考を、幻覚的な形に変えて表現するのが夢の作業です。夢を解釈するときにはこの作業を逆にたどることになります。その作業の内容は次の4つです。 

1.濃縮
さまざまな人物が濃縮されて、ただ一人の人物になるようなこと。どうやらAのようにみえるが、しかしBのような着物を着ており、Cを思い出すような仕事をしている、それでいてなお、それはDだと思える、といった具合です。

2.移動
あるものごとが、「ほのめかし」によって本来の姿からかなり縁遠いものになって表れたり、本来重要な要素から、他の重要でない要素に中心点が移されたりすること。この「中心点の移動」を説明するのに、フロイトは次のような小噺を紹介しています。ある村に一人の鍛冶屋がいたが、これが死刑に値する罪を犯してしまった。しかし困ったことに、その村には鍛冶屋が一人しかおらず、かけがえがなかった。ところが村には仕立て屋が三人もいたので、そのうちの一人が鍛冶屋の代わりに絞首刑にされた。

3.視覚像への置き換え
夢ではしばしば思考は視覚像となって表れます。たとえば、ある人物がある物を「所有している」ということが、実際にある人物がその物の上に「座っている」という像によって表現されます。一方で、「なぜなら」「それゆえ」「しかし」、等々の思考のつながりを示す接続詞は、視覚像にはできないため消えてしまいます。

4.二次的加工
上記3つの作業の結果を組み立てて、ある全体的なものとし、ほぼ調和したものとすること。ただし、その際、材料はしばしばまったく誤解されやすい意味に従って配列され、必要と思われればいろいろなものが挿入されます。

【参考文献】
ジークムント・フロイト著、井村恒郎ほか訳
『改訂版フロイド選集1 精神分析入門〈上〉』(1969年、東京:日本教文社)
pp. 240-348.