VOL 7|2024年01月号
油脂の精製や接着剤を製造する工場の作業員。勤続36年目。
肉屋から捨てられる脂肪や骨を持ってきて、油に精製する仕事です。以前は主に石けん工場に出荷していましたが、最近では様々な製品を作っています。捨てられるものを持ってきて精製して、数百万ドルの稼ぎがあります。今やビッグビジネスですよ。
臭いが酷いですが、もう慣れました。ずっといたらそんなに気にならなくなります。休暇で1週間程度休んだらまた振り出しに戻りますが。
時々、周りをからかうこともあります。こう言うんです。「俺はシカゴでいちばん不潔な場所で働いてるって自信があるよ」。すると誰かが言います。「どうして耐えられるんだ?」。私は聞き返して、「あんたが毎日使っているものの中で、何パーセントがうちの工場で作られているか、知ってるか?」「へえ、何だって?」「歯磨き粉で歯を磨くよな?」「ああ」「歯磨き粉にはグリセリンが入ってる。それ、うちの工場で作ってる」「ほんとか?」「昔、口紅が塗られた唇とキスしたこと、あるだろ?」「ああ」「うちの工場では、昔、口紅を作る工場にも油を卸してたんだ。これでもう、女の子とキスなんかできないな(笑)」
これまで働いてきてどうだったか、聞きたいんですか? 自分のやっていることは好きですよ。36年間、一度も解雇されたことはありませんし。いつも仕事に行くのが楽しみです。でも・・・そうですね、経験はしてみたいです。仕事に行かない生活というのも。あと3~4年後、退職したときが楽しみです。いったいどうなるのか、見当もつきませんが・・・。
【出典】
Studs Terkel,
Working: People talk About What They Do All Day and How They Feel About What They Do,
New York: Ballantine Books, 1985, pp. 158-161.
~フロイト式世渡りことば~
今回は、前回みた強迫神経症について、図を用いておさらいしてみましょう! フロイト先生は、ついつい後ろ向きになりがちな私たちを、キビシイながらも前向きにしてくれますよ。
過去のある一定部分に固定されていて、それから自由になれずに、現在と未来に背を向けてしまった強迫神経症の人びと。彼らは、自分の意志とは無関係に、本来は関心を持っていない考えやイメージに心を奪われ、何の喜びも感じないばかりか、日常生活に支障をきたすような行為へと駆り立てられます。
ここで、フロイトが強調しているポイントをおさえつつ、その状況を図にしてみましょう。
図1 意識上に現れた症候と、無意識の中に潜むもの
症候とは、たとえるならばぽっかり空いた穴のようなものです。もちろん、妄想や行動などの形で存在してはいるのですが、本人にも周囲にもその意味や目的はさっぱりわかりません。こうした「穴」に着目するのが精神分析の特徴です。
目的や理由があって初めて物事が成り立つのではなく、まずは物事や現象があって、そこに目的や理由を見出していく。自分が理解できないものに対し、「何かよほどのことがあるんだろう」と、目を向けてみる。これが精神分析の姿勢なのです。
そして、前回も述べたように、症候の目的や理由を明らかにするうえで重要な手がかりとなったのが、無意識下に抑圧された過去の「外傷体験」でした。この外傷体験を精神分析によってあぶり出し、患者を悩ませていた現象とうまく紐づけられれば、状況は下図のように変わります。
図2 精神分析的解釈によって治癒する症候
精神分析の作業によって過去の体験が意識上に浮上し、それによって患者を苦しめていた症候にうまく説明がつけば、穴は埋め合わされます。穴がなくなるということは、症候も消え去り、患者は救われる、というわけです。
「あの体験がトラウマになっていて、自分は今、こうなんだ」といった言い方が、フロイト的にいえば正しくないことは前回も指摘しました。トラウマ(外傷体験)がトラウマであるためには、それが本人に全く意識されていない、つまり無意識であることが必須条件だからです。それは、意識された瞬間にもはやトラウマでなくなるのです。
私たちはつい何かと言い訳をしてしまいます。「あのときの出来事のせいで・・・」「あの人のせいで・・・」。しかしフロイトを学べば学ぶほど、こうした、過去や他人に責任を転嫁するような物言いのむなしさに気づかされます。
原因や目的がわからないのであれば、自らの心を深く探求し解明せよ。そして、それがわかったのであれば、同じ場所にとどまっている必要はない。「無意識」という概念によって、私たちは、一人一人が自らの足で進むべき、これ以上ないほど広大で完璧な荒野を与えられたのです。
【参考文献】
ジークムント・フロイト著、井村恒郎ほか訳
『改訂版フロイド選集2 精神分析入門〈下〉』(1970年、東京:日本教文社)
pp. 3-71.