パオーンtimes

VOL 8|2024年02月号

●Translation: 清掃員 ●Learning: 抵抗と抑圧

Translation

 

~時代と海を超えた、はたらく人々からの手紙~

1974年、アメリカで『仕事』(Working)という
ぶあつい本(約800ページ)が刊行されました。
作家やメディアで活躍するStuds Terkelが
膨大な数の「普通の人々」に直接会いに出向き、
彼らの自宅やレストラン、ときにはバーなどで、
仕事に関する話を聞いたインタビュー集です。
仕事とは? 生きるとは? 人間とは?
血の通った教科書のようなこの本から、
毎月一人ずつ、一部抜粋・翻訳してお届けします。

 

白人家庭やホテルの清掃員、食堂のスタッフなどに25年間従事してきた黒人女性。現在は仕事をやめ、4人の子供と一緒に暮らしている。

今は生活保護で暮らしているので、私を悩ませていることと言えば、ただでお金が入ってくることですね。これまでにやってきたこと、やらざるを得なかったきつい仕事のことを思うと、戸惑います。こんなこと、暴力にも思えてきますよ。

私たちはいったい何のために働かなくちゃいけなかったんでしょうか。報酬は、1週間で1.5ドルでした(訳注:当時のレートで約540円。現在の日本の物価レベルに換算すると1,296円)。週5日、時には6日勤務です。使用人として働いている以上、休みはありません。もし雇い主が夜にパーティーを開こうと思えば、出向かなくてはなりませんから。

私の祖母の時代は牛乳とバターが報酬の代わりでした。私の貧しい両親たちは何も手に入れられず、何のために働いていたのだろうと思います。白人は何を考えていたんでしょうね? 自分たちで何かしようとは考えなかったんでしょうか?

ニクソン大統領が「清掃員だからといって悪いことだとは思わない」と言っていましたね。私たちは何世代にもわたって清掃の仕事をしてきました。私たちだって、彼のように医者や教師や弁護士になりたかった。それを彼は知るべきです。子供たちには自分と同じことをしてほしくありません。

私たちを雇う側の人たちは、私たちの住む地域を汚いと言います。だったらなぜ、そんな私たちに自分の家を掃除させるんでしょうか。貧民街に住む女性たちを不潔だと言うのなら、彼らがこちらに来て掃除してもいいと思うんですが。

私がずっとやりたかったのは、ピアノを弾くことです。それに、歌や文章を書いてみたかった。それが本当にやりたかったことです。ピアノが買えていれば…。自分の人生について、本を書きたかったです。南部で生まれ育ったこと、おじいちゃんやおばあちゃん、父のこと。それに、黒人の歴史についても、深く掘り下げて書いてみたかったです。

【出典】
Studs Terkel,
Working: People talk About What They Do All Day and How They Feel About What They Do,
New York: Ballantine Books, 1985, pp. 161-168.

 

Learning

 

~フロイト式世渡りことば~

精神分析学をご存じでしょうか。
今からおよそ100年ほど前、
オーストリアの医師ジークムント・フロイトが
人間の心を探求し、つくり上げた学問。
一見難しそうですが、とても親しみやすい内容で、
日常を生き抜くヒントにあふれています。
そんな理論から浮かび上がる“世渡りことば”で、
人生の荒波をたくましく乗りこなしましょう!

 

フロイトによると、強迫神経症などを精神分析で治療するあたって、患者はしばしば「抵抗」を示したそう。自分が楽になるために治療を受けているはずなのに、自らそれに抵抗するとは、何とも非合理的。その背後にあるものは…。

精神分析の技法として、「自由連想」が基本になることは以前にも紹介しました。特定のことについて深く考えこんだりせずに、静かに自己を観察しながら、心に浮かぶ一切を、浮かんでくるままの順序で分析医に話す。そのことにより、心の深層へと到達するやり方です。

しかし患者は何とかしてこの作業から逃れようとします。いわく、何も思いつかない、あるいは反対に、あまりにたくさんのことが思い浮かんでこれといって言えない、等々。

一見すると治療の障害にしかならないように思えるこうした「抵抗」ですが、フロイトは「抵抗を克服することは分析の本質的な仕事であり、われわれが患者に対して何事かをなしとげたということを保証してくれる唯一の作業部分」と考えていました。

どういうことでしょうか? それは、治療によって到達すべき心の深層、すなわち無意識の成り立ちに関わっています。

症候とは「穴」のようなものだと前回説明しました。逆に言えば、その原因となっている外傷体験は、無意識的なものであるからこそ、「穴」としての症候を形づくることができます。さらに別の言い方をすれば、症候とは、私たちの心の処理機能が中絶された結果、無意識下にとどまっている「何か」の代理物なのです。

心的過程の中絶が起こるとは、かつて相当激しい反抗が働いたに違いありません。そのような反抗が、分析治療に際してまた起こり、それが患者の「抵抗」となってあらわれているのではないか。そう考えたフロイトは、分析中に抵抗という形であらわれたその反抗を、「抑圧」と名付けました。

フロイトの描く抑圧は、ぞっとするほどの恐ろしさです。抑圧と聞いて、「拒絶」のようなイメージを抱いた人もいるかもしれません。しかし拒絶は、ある衝動が起こった時に、こんなものを表に出したら危険だと考え、グッとこらえて放棄する程度のもの。逆に言えば、理性で放棄できる程度の衝動が相手なのです。

それに対して抑圧とは、ある衝動が起こった時に、その衝動が持つエネルギーを取り去ることすらせずに、有無を言わさず押し込めること。つまり、無意識下には、「エネルギーに満ち満ちた危険なもの」がうごめいている・・・ということになります。

無意識という概念から、ひっそりとして冷ややかな世界観を思い浮かべる人も少なくないでしょう。しかし実際には、それは常にムンムン・ギュウギュウ・ザワザワとごった返している「控え室」のようなものだったのです。

そんな控え室から、「検閲」をパスしたものだけが、晴れて表舞台の「サロン」に出ることができる。しかしそのサロンもまただだっ広く、意識の前の「前意識」というスペースが広がっている。その中で、ごく一部のものだけが、「意識」の目にとまることができる・・・。

無意識という世界“も”あるのだな、くらいに考えていたら痛い目に遭いそうです。アイドルグループで言えば、むしろ無意識がセンター。それに比べて意識など、そのグループのメンバーとも言えないくらいです。意識とは、広々としたサロンの窓際で、頼りなげに佇む「見物人」(by フロイト)に過ぎません。

【参考文献】
ジークムント・フロイト著、井村恒郎ほか訳
『改訂版フロイド選集2 精神分析入門〈下〉』(1970年、東京:日本教文社)
pp. 72-96.