パオーンtimes

VOL 13|2024年07月号

●Translation: ある秘密調査員の発見 ●Learning: 性教育?

Translation

 

~時代と海を超えた、はたらく人々からの手紙~

 

1974年、アメリカで『仕事』(Working)という
ぶあつい本(約800ページ)が刊行されました。
作家やメディアで活躍するStuds Terkelが
膨大な数の「普通の人々」に直接会いに出向き、
彼らの自宅やレストラン、ときにはバーなどで、
仕事に関する話を聞いたインタビュー集です。
仕事とは? 生きるとは? 人間とは?
血の通った教科書のようなこの本から、
毎月一人ずつ、一部抜粋・翻訳してお届けします。

 

内部の窃盗疑いなどについて、企業に雇われて調査を行う。

人を理解することに関しては、これまでのどんな仕事よりもこの仕事に教えられています。誰かが「あの男は泥棒だ」と言えば、私は「どんな泥棒なんだ?」と聞きます。いろんな泥棒がいるからです。

なぜ人は盗みを働くのか? もし、お腹を空かせた子供のためにパンを盗んだとしたら、その男を泥棒と呼べますか? 薬物中毒の泥棒もいれば、何が盗み出せるか知りたいという理由だけで盗む者もいます。おもしろいですよね。

この仕事のおかげで、前よりは人を疑わなくなりました。いつも人々の会話を聞いていますから、悪い人はそんなにいないってことに気づくんです。本当ですよ。

新聞などに書かれていることとは関係なく、みんないい人なんです。みんな同じ、それが私の発見です。

【出典】
Studs Terkel,
Working: People talk About What They Do All Day and How They Feel About What They Do,
New York: Ballantine Books, 1985, pp. 201-214.

 

Learning

 

~フロイト博士の処方箋~

精神分析学をご存じでしょうか。
今から100年以上前のオーストリアで、
医師のジークムント・フロイトが
人間の心を探求し、つくり上げた学問。
一見難しそうですが、とても親しみやすい内容で、
日常を生き抜くヒントにあふれています。
そんな理論から浮かび上がる“処方箋”で、
人生の荒波をたくましく乗りこなしましょう!

 

神経症の発症とまではいかなくとも、人に苦悩はつきもの。悩むのなんか当たり前となんとなく思っているけれど、そもそもなぜ悩むんだっけ? その答えは心の発達にありました。

「性」+「教育」?

先日、とある講演会に参加しました。ジェンダーギャップにまつわる内容で、男女平等の先進国であるアイスランドの事例を紹介しながら、講師の方がおっしゃいました。「こんなに進んでいる国でも、まだまだ減らないのが性暴力の問題。だから、彼らは性教育に力を入れている」と。

性暴力がはびこる現実に、私も深い憤りを覚えます。そのうえで、やはりどうしても抱かずにはおれないのが、「性教育」という言葉に対する違和感です。

悩みを生みだす3つのモノ。

フロイトは、神経症の原因として、次の3つを上げています。

第一に、欲求阻止。望んだ満足が妨げられることです。第二に、リビドーの固着。ある印象的な体験などに心がとらわれ、何かあればそこに引き戻されてしまうことです。そして第三に、このようなリビドーの動きを拒否してきた、自我の発達に由来する葛藤傾向です。

満足が妨げられる。だから、かつて満足を与えてくれた対象や経験に戻ろうとする。ところが、それを押しとどめようとするものが・・・。悩める人間のできあがりです。

教育しやすい自己保存本能 vs 教育しにくい性本能。

性本能とは別の自己保存本能は、発達するにつれ、快楽の追求を押しとどめたり、快楽の獲得を先延ばしにしたりするようになります。なぜそんなふうに発達するのかというと、「生き抜くため」です。阻止されたからと言って欲求の充足をあきらめたり、過去の満足に引きこもろうとしたりしても、なんの腹の足しにもなりません。だから、代理のもので手を打ったり、求める量を減らしたり、延期したりします。あくまで現実的というわけです。

一方で、そんな現実の要求からは自由なのが性本能です。フロイトは次のように説明しています。

「性本能はこれ〔自己保存本能〕にくらべるとずっと教育しにくいのですが、それは性本能が最初は対象の欠乏ということを知らないからです。性本能はいわば他の身体諸機能に寄生して、自分の身体で自体愛的に満足を得ているので、それはさしあたっては現実的窮迫の与える教育的影響を被らず、そのためにそれは、わがままいっぱいで他からの影響を受けつけない性格、われわれが「無分別」と呼んでいる性格を、たいていの人間においてはなんらかの点で一生涯を通じて主張しつづけるのです。」

内面の葛藤を愛おしむ。

「性教育」という言葉に対する違和感は、フロイトが述べているような性の本質に反していることが原因かもしれません。ゆえに途方もなく、成功の見込みがほとんど感じられません。

必要なのは、性を完璧にコントロールするのではなく、その性もおおいに関わっている「葛藤」が、人間の、その心の条件だと知ることではないかと思います。

もの言わぬこの身体のなかに、一生涯「無分別」なものを抱えながら、それでもなんとか生きていかねばならない。その本質を知り、そんな自分をねぎらい、励まし、葛藤さえも愛おしむことができれば、暴力的な解決に走ることなく、豊かでいられるのではないかと思います。

【参考・引用文献】
ジークムント・フロイト著、井村恒郎ほか訳
『改訂版フロイド選集2 精神分析入門〈下〉』(1970年、東京:日本教文社)
pp. 154-183.