パオーンtimes

VOL 16|2024年10月号

●Translation: 好きな仕事と組織のはざまで ●Learning: 受け身は前提

Translation

 

~時代と海を超えた、はたらく人々からの手紙~

 

1974年、アメリカで『仕事』(Working)という
分厚い本(約800ページ)が刊行されました。
作家やメディアで活躍するStuds Terkelが
膨大な数の「普通の人々」に直接会いに出向き、
彼らの自宅やレストラン、ときにはバーなどで、
仕事に関する話を聞いたインタビュー集です。
仕事とは? 生きるとは? 人間とは?
血の通った教科書のようなこの本から、
毎月一人ずつ、一部抜粋・翻訳してお届けします。

 

フォード社の組み立てラインでスポット溶接工に従事。27歳・男性。最近結婚した。3交代のシフト制で、午後3時半から夜12時まで勤務。

「私は最初の溶接を担当しているので、車体の組み立てが私のところから始まります。そこから他のラインへ流れていって、フロア、ルーフ、ボンネット、ドアの取り付けへと進んでいきます。最後はフレームで、全部で数百ものラインがあります。

溶接用のガンは持ち手が四角で、上のほうに電圧を上下するボタンが付いています。最初に金属同士を締め付けて固定し、次にそれらを一つにまとめます。

ラインに沿って置かれたテーブルの上からガンがぶら下がっていて、卵のような楕円形に沿って動いていきます。地面から15cmくらいの高さの、コンクリートでできた足場に立って作業します。

1メートル弱のエリアが自分の持ち場です。夜の間ずっとです。作業が止まるのはラインが止まった時だけ。車1台当たり32の作業をします。1時間に48台分、それを毎日8時間。32×48×8。これが、私がボタンを押している回数です。

止まらないですね。ただひたすら流れて、流れて、流れて。きっと、生きている間にラインの終点を見ることなく死んでいくんです。とにかくエンドレス。蛇みたいなもので、尻尾はなくて全部がボディという感じ。あなたにも何かしてくるかもしれませんよ・・・(笑)

ジムという男の隣で働いていますが、彼はすごく熱中して作業しています。左側にはメキシコ人の男がいて、スペイン語を話すので私には理解できません。なので彼のことは避けています。ブロフィという若い男は大学に通っています。彼は私の対角線上で作業していて、時々話をします。もし彼がそういう気分じゃなかったら、話しかけません。私がそういう気分じゃない時も、彼は分かってくれています。

働き始めてすぐのころは工場長をうらやましく思ったりもしました。今はあんな仕事したくありません。仕事中、彼らと関わることに時間を使わないようにしています。工場長になるには、人間であること、つまり感情といったものを忘れないといけないんです。作業員が血を流して死にそうになっていても、「だからどうした?」。ラインを動かし続けないといけない。私はとてもそんなふうにできません。

笑われるかもしれませんが、私は車体の組み立てが好きなんです。かなりの部分で私は仕事を楽しんでいます。手を使うことが好きなんです、頭を使うよりもね。ものをつなぎあわせたり、ものづくりの長い工程を見るのが好きです。

フォード社に入ったらすぐに、彼らは私たちの魂を傷つけようとしてきます。たとえば、背の低い男を必要としているところへ背の高い男をあてがったり、私と同じ作業を58歳の男にさせようとしたり。私に言わせれば、こんなことは人として間違っています。仕事は仕事であるべきです。死刑宣告であってはならないと思います。」

【出典】
Studs Terkel,
Working: People talk About What They Do All Day and How They Feel About What They Do,
New York: Ballantine Books, 1985, pp. 221-227.

 

Learning

 

~フロイト博士の処方箋~

精神分析学をご存じでしょうか。
今から100年以上前のオーストリアで、
医師のジークムント・フロイトが
人間の心を探求し、つくり上げた学問。
一見難しそうですが、とても親しみやすい内容で、
日常を生き抜くヒントにあふれています。
そんな理論から浮かび上がる“処方箋”で、
人生の荒波をたくましく乗りこなしましょう!

 

今年で私も42歳。人生の折り返し地点を過ぎました。ここでちょっと我が“人生”なるものを振り返ってみると、その流され具合に驚かされます。

たとえば、最近のまあまあ大きな出来事といえば、独立して仕事を始めたことです。とくに聞かれることはありませんが、仮に誰かに「どうしてそう決心したの?」と聞かれたとして、どこぞのおしゃれYouTubeのように、“人生”を盛ることは簡単です。

「母を亡くし、見える世界が本当に変わってしまって。そんななか、何かせずにはいられなくて香港へ一人旅にでかけたことをきっかけに、少しずつ“一人で歩く”こともできるんだって思うようになって。思いきって、私の心のふるさととも言えるアメリカにも一人で行ってみたんです。そこで、早朝、街を歩いていたら、ホームレスのような風貌の男性が一人路上に立ち、空(くう)に向かって何か詩のようなものを叫んでいました。それを見て、心から感動してしまって。あんなふうにただ一人で立ち、自分の思いを叫ぶ。かっこいいと思ったんですね。それが今の自分につながっているかなと思います(最後は大谷風に)」。

しかし実際はこうです。

香港へ行ったのは、当時始めたばかりのインスタグラムで、すばらしくよくできた一人旅指南本を見かけ購入したのがきっかけ。アメリカへ行ったのは、結婚してイギリスに住む友人のところへ行こうと思っていたら、その友人の妊娠が分かって延期となり、行き先を変更したというだけ。そこで見た路上詩人についても、異国の地での警戒心や遠慮から、一瞬ちらっと見ただけでうつむき加減で足早に通り過ぎたのが実際のところ(笑)。独立したのも、コロナ禍による変化を受けてのことにすぎません。

にぎやかなメディアに煽られてつい勘違いしそうにもなりますが、世の中、だいたいこんな人が大半なのではないでしょうか?

フロイトは、まさにそのことを理論的に明らかにしました。そのこととは、人間の流され具合、少し固い言い方をすれば「自我の受動性」です。

今回取り上げた「普通の神経質」の章で、フロイトは聴講者に向かって、これまでいわゆる「普通の神経質」を取り上げてこなかったことや、話してきた内容の取っつきにくさを詫びています。「神経症者の独特の本性、対人交流と外的影響とに対する彼等の不可解な反応、その刺激性、移り気および無能さ」など、神経症を経験したことがない人でも比較的イメージしやすい視点から話をすれば、もっとわかりやすかったかもしれない、と。

しかしやはりそれではだめなのだとフロイトは言います。なぜなら、そのように神経症者自身の視点から話すことは、彼の「自我」の言うことを信用することになるからです。前回までに述べてきたとおり、自我とは、精神分析が解明しようとする無意識的なものを否認し、抑圧してしまった力にほかなりません。精神分析が「心生活の中に無意識的なものを発見しようとする以外に、何の意図も持っておらず、またそれ以外になすことは何もない」以上、そんな自我を信用することなどできないのです。

人生を振り返ってみてその流され具合にびっくり、でもおしゃれな自己分析をしようと思えば簡単、と冒頭書きましたが、それもそのはず。フロイトいわく「自我はたっぷりと受動性を耐え忍んできたのであるが、その後になってその受動性をみずからに秘して粉飾しようとしているのだ、ということが精神分析では知られています」。

フロイトや精神分析がいいなあと思うのはこんなところです。社会はつねに、夢を持て、主体性を発揮しろ、自分の頭で考えろ、と私たちに迫ってきます。現在のような変化のさなかにあって、その圧はなかなか強力です。しかしいったん立ち止まって、そもそも人間ってそんなふうに立派にできているっけ?と考えることも、忘れたくない…と思うのです。一般的なイメージに反してかなり控えめかもしれませんが、そんな態度にしか、本当の意味での「主体性」は表れないような気がします。

【参考・引用文献】
ジークムント・フロイト著、井村恒郎ほか訳
『改訂版フロイド選集2 精神分析入門〈下〉』(1970年、東京:日本教文社)
pp. 213-235.