パオーンtimes

VOL 17|2024年11月号

●Translation: ここではない世界 ●Learning: 不安の出所

Translation

 

~時代と海を超えた、はたらく人々からの手紙~

1974年、アメリカで『仕事』(Working)という
ぶあつい本(約800ページ)が刊行されました。
作家やメディアで活躍するStuds Terkelが
膨大な数の「普通の人々」に直接会いに出向き、
彼らの自宅やレストラン、ときにはバーなどで、
仕事に関する話を聞いたインタビュー集です。
仕事とは? 生きるとは? 人間とは?
血の通った教科書のようなこの本から、
毎月一人ずつ、一部抜粋・翻訳してお届けします。

 

主に黒人が住む郊外の地域で、妻と5歳の息子と暮らす。その家の壁は息子の落書きで彩られている。スポット溶接工として、前回登場したPhil Stallingsのそばで働いている一方、大学で経営学を学ぶ学生でもある。

「もし私が白人だったらこんな仕事はしていません。とても気が滅入りますよ。周りには、私よりずっと低学歴なのに高い給料も地位も手に入れた白人たちがいるんですから。

私が働いているのは装飾がされる前のところです。塗装もされていない、純粋な車体の状態です。ラインは止まることなく流れていますね。なにしろ、フォードはより良いアイデアを持っていますから(笑)。こんなスローガンを聞いたことがあるでしょう。「私たちにはもっといいアイデアがある」。彼らには、疲れきった体からありったけの仕事を8時間分引きだすための、より良いアイデアがあるんですよ。

欠陥をチェックすることになっている検査官もいますよ。でもみんな、欠陥が正されることはないとわかっています。車を買うためのお金は、塗装や装飾物を買うためのものですよ。ミスをしたとき私たちはいつも言うんです。「気にするな。どっかのバカが買うからさ」。

フォードは分業を信奉していて、効率化を追求しています。実際に、仕事中、私の頭の中はほとんど学業のことでいっぱいです。仕事のことを考えるなんてありえません。退屈すぎるからです。特に私のように、学校に通っていて、考えることがたくさんある人にとってはね。

(インタビュアー:フィルは、自分の野望はいくつもの作業をこなせる熟練工になることだ、と言ってましたよ。)

ふーん、最低の野望ですね。墓を掘る人と、棺を墓に入れる人くらいの違いしかないじゃないですか。だから(笑)、彼はそうなれるでしょうね。私の野望はフィルよりも高いですよ。

この仕事には人間らしい時間がまったくありません。なので私は別の場所を目指しているんです。オフィスや銀行で働けば、違うでしょう。そこでは、人は、自分のペースで働くことができると思っています。」

【出典】
Studs Terkel,
Working: People talk About What They Do All Day and How They Feel About What They Do,
New York: Ballantine Books, 1985, pp. 227-232.

 

Learning

 

~フロイト式世渡りことば~

精神分析学をご存じでしょうか。
今からおよそ100年ほど前、
オーストリアの医師ジークムント・フロイトが
人間の心を探求し、つくり上げた学問。
一見難しそうですが、とても親しみやすい内容で、
日常を生き抜くヒントにあふれています。
そんな理論から浮かび上がる“世渡りことば”で、
人生の荒波をたくましく乗りこなしましょう!

 

たいていの神経症患者が訴えるという「不安」。でも、強度の違いはあれど、なんだかいつも不安なのは、誰しも同じではないでしょうか。「不安」を精神分析的にとらえると、いつもとは違った景色が見えてきますよ。

不安タスティック!とはみうらじゅん氏の造語ですが、そんな言葉が生まれるくらい、不安は私たちに付きものであり、やっかいなものです。フロイトも書いているように、「不安とは一般に『不安の発生』を知覚することによっておちいる主観的状態と解され、この状態は感情と呼ばれています」。つまり、不安がやっかいなのは、ひとつには、それが理性ではなく感情だからです。

ところで感情とは何なのでしょうか? それは運動性神経支配、運動性行為の知覚、直接の快感および不快感などから構成されたものであるが、そこに本質はないのだと、フロイトはいいます。

「若干の感情においては、さらに詳細に検討してみると、上に述べたすべてを一緒にして締めくくる核心となるものは、ある特定の重大な体験の反復であることが認識されるように思われます。この体験は、おそらくはきわめて普遍的な性質を持ったごく早期の印象にほかならず、個体の前史にではなく、種族の前史にさかのぼることのできる印象でありましょう。(中略)不安感情の場合、それがどのような早期の印象を反復というかたちで再び心に甦えらせるのか、われわれにはわかっているように思われます。精神分析学では、それは分娩行為だと考えます。」

胎内という、守られた安全地帯から出るにあたって生じた不快感、排出運動、身体感覚。これが、生命の危険を感じた最初の原風景となり、以来、不安状態として反復的に経験されている、とフロイトはいうのです。

「みな誰かのお母さんの子ども」という言葉は、ある人がまったく違う文脈の中で言ったものですが、これを今回のフロイトの考察に無理やり引き合わせるならば、「誰も不安感情を免れることはできない」ということになるでしょう。

しかし、どうでしょうか。不安とは分娩体験の反復であるといわれたとき、不思議と視線は前を向くような感じがしないでしょうか。まるで、不安という「症状」についてフロイト先生に解釈してもらい、その由来がわかって「治癒」できたかのように。たとえそれが “不安タジー” だとしても、不安感情はずいぶんなだめられます。

【参考文献】
ジークムント・フロイト著、井村恒郎ほか訳
『改訂版フロイド選集2 精神分析入門〈下〉』(1970年、東京:日本教文社)
pp. 236-243.