
VOL 28|2025年11月号

~時代と海を超えた、はたらく人々からの手紙~

大都市の郊外に広がる、中流階級の人々が住む地域の自動車ディーラーで販売員に従事。27歳、男性、既婚で、まだ幼い子供が1人。曰く、「妻は裕福な家の出身だけど、俺は田舎者で、学校も卒業できなかった。大家族で、他の家族に比べて貧しかったよ。」
「自分のことを優秀な販売員だとは思わない。商品はひとりでに売れていくものだしね。もし自分に優秀なところがあるとすれば、唯一、お客さんの領域に入っていけるってことかな。車を買う立場になってみれば、どんなふうに扱われたいか分かるだろ。俺は、押し売りされたいとは思わない。
2~3週間前、ある男を店から叩き出したことがあったよ。「ちょっと!」と声をかけられ、「すみません、何かご用でしょうか」と俺は言った。男は一台の車を指さして「これはいくらだ」と聞くから、「価格一覧を見てきます」と答えたんだ。「どういう意味だ?」「すべての車の価格が頭に入っているわけではありませんので」「なるほど、じゃあ調べろよ」。聞いてのとおり、無礼な客だよな。
結局、その車は彼にとっては高額だった。すると彼はまた別の車を指さして「あれはいくらだ」と聞いてきた。俺が、「あなたが欲しい車がどんなものか教えてくれませんか? そうすれば私もあなたのお役に立てると思うのですが」と言うと、「頼んでいない。値段を聞いてるだけだ」と言われたから、「分かりました。もしそれがあなたのやり方でしたら、価格は窓に張り出してありますよ」と返した。
すると男は俺を「ばか」呼ばわりしてきたんだ。俺は「私はここへ仕事をしに来ていて、できる限り、あなたを紳士として扱おうとしています。あなたも同じように接してくれませんか。そうでなかったら、私たちはうまくやっていけませんよ」と言ったけど、彼は俺を口汚くののしり続けた。だから彼を掴んで、店のドアから引っ張り出したのさ。
唯一の脅威は、俺から仕事を奪うような人たちだね。それは俺の家族も脅かすことだからな。俺は俺の仕事が好きだ。好きでないといけない。好きであるべきなんだ。そうでなければ俺はみじめだ。一番好きなわけではないけれど、でも好きなんだ。自分がハッピーじゃなければ売ることはできない。準備万端でいなければ。さあ、売って、売って、そして売ろう、ってね。」
~今月のリアルヴォイス~
“I have to like it. I must like it. Otherwise I’d be miserable.”
(それを好きでないといけない。好きであるべきなんだ。そうでなければ俺はみじめだ。)
*have to=~しなければならない(客観的な事情による義務を表わす場合が多い) *must=~しなければならない(話し手の意志を含む義務を表わす場合が多い) *otherwise=さもなければ *miserable=みじめな
【出典】
Studs Terkel,
Working: People talk About What They Do All Day and How They Feel About What They Do,
New York: Ballantine Books, 1985, pp. 303-309.

~フロイト博士の処方箋~

夢の内容は、そのひとがそれまでに体験したものを材料にしている。夢がどんなに奇妙でも、それは必ず現実を“みなもと”とし、現実とつながっている。とはいえ、そうした夢と現実とのつながりは、注意深く探ってみてはじめてわかるものであり、長い間謎のままであることも多い。
たとえばこんな場合がある。夢で見た内容は、目が覚めてから考えてみてもまったく身に覚えがない。しかし、しばらくして、何か一つの新しい経験をする。するとその経験によって、ずっと以前の失われていた記憶が呼び戻される。それと同時に、あの謎だった夢の“みなもと”が判明する。つまり、目が覚めているときには思い出せなかったような何物かを、夢のなかでは思い出すことができていた、というわけだ。
夢は、人間の覚醒時においては全然覚えのないような記憶を自由に利用することができる。フロイトはこのことを「きわめて注目すべき、また理論的にいって意義重大な一事実」だと言っている。事実、神経症者の精神分析をするとわかることであるが、患者たちは、覚醒時には忘れ去っているような引用文句やわいせつな言葉などを夢のなかではおおいに使っているという。
覚醒時には思い出されもせず、使われもしないような夢の材料、その“みなもと”のひとつは幼年時代の生活である。実例も複数あるし、何人かの研究家はこの事実に着目し、強調している。もちろん、フロイトもこうした態度に賛同している。
そして、夢のなかにおける記憶の「もっとも不可解で、もっともおもしろい特性」として、フロイトは次のことを挙げている。
「・・・これからそれを夢の中で再現させようという材料の選択の仕方だといわなければならない。つまり夢は、覚醒時におけるように、意義の大きなものばかりを尊重せずに、むしろその反対にどうでもいいような些細なものを尊重する。」
このことが、夢と意識生活とのつながりをさらにわかりづらくしていることは言うまでもない。それゆえ、研究家のひとりであるヒルデブラントなどは、時間をかけて夢の由来を探ろうとしても報いられることは少ないと言うのだ。
「なぜならそういうことをやってみたところで結局多くの場合、記憶の部屋の隅の隅にしまわれているところの、心的には全然無価値なありとあらゆる事柄をほじくり出したり、遠い過去の、全然無意味な、ありとあらゆる事どもを、当時たちまちにしてそれを覆った忘却の中から明るみへ引っぱり出したりするようなことに終わるだろうからである」
しかしフロイトは、報いられることは少ないと言われたこの道をどこまでも歩いていった。そうして、ヒルデブラントの予想に反して、報われないどころか逆に夢解明への中心点へと近づいていったのである。
【参考・引用文献】
ジークムント・フロイト著、高橋義孝訳
『夢判断(上)』(1969年、新潮社)
pp. 26-44.