パオーンtimes

VOL 29|2026年01月号

●Translation: 諸悪の根源 ●Learning: 夢判断(5)夢の刺激と夢の源泉(1)外的(客観的)感覚興奮

Translation

 

~時代と海を超えた、はたらく人々からの手紙~

1974年、アメリカで『仕事』(Working)という
分厚い本(約800ページ)が刊行されました。
作家やメディアで活躍するStuds Terkelが
膨大な数の「普通の人々」に直接会いに出向き、
彼らの自宅やレストラン、ときにはバーなどで、
仕事に関する話を聞いたインタビュー集です。
仕事とは? 生きるとは? 人間とは?
血の通った教科書のようなこの本から、
毎月一人ずつ、一部抜粋・翻訳してお届けします。

 

理容師歴43年。2人の理容師を雇い、シカゴのビジネス街で自分の店をかまえている。

「長髪なんて新しくもなんともないね。昔も、今と同じように風変りなヘアスタイルはあったよ。ミュージシャンの客も何人かいて、彼らは長髪だったしね。でもヒッピーみたいじゃなかった。清潔に整えていて、こざっぱりしていれば何の文句もないよ。

でも、何が腹立つって、大学生の息子がいる奴がさ、息子が流行りの長髪にしていて、自分もそうしたいって言うんだよ。50代の平均的なオヤジがだよ。息子みたいな見た目になりたいってさ。ばかばかしい。俺たちがいいと思うのは、やっぱり男らしい髪型だよ。ビジネスマンのスタイルさ。ちゃらちゃらした髪型じゃない。そんなのは長続きしないと思うよ。

この状況が理容師に大きな被害を与えてるんだ。俺が知っているだけでも、この地域だけで9人の理容師が辞めていったよ。以前は、男たちは2週間に1回は店に来ていたものだ。それが今は1、2ヶ月、それ以上待つ人もいる。美爪師も、以前は週5日来てもらっていたが、今は週1回だけだ。爪を磨きに毎週たくさんの人たちが来ていたんだ。彼らのほとんどは退職したか、引っ越していったか、あるいは死んでしまった。ぜんぶ長髪のせいだよ。

昔の人たちはみんな、きちんと見られたいと思っていた。人前に出て恥ずかしくないようにしたいと思ってたし、職場でもきちんとした身なりをしていなくちゃならなかった。今の人たちはもうそんなに気にしなくなったからな。」

~今月のリアルヴォイス~
“It’s all on account of long hair.”
(全部長髪のせいだ。)
*on account of ~:~のため、~のせい

【出典】
Studs Terkel,
Working: People talk About What They Do All Day and How They Feel About What They Do,
New York: Ballantine Books, 1985, pp. 313-317.

 

Learning

 

~フロイト博士の処方箋~

今から100年以上も前のオーストリアで
精神科医のフロイトが作りあげた精神分析学。
その理論は一見むずかしそうですが、
じつは日常へのヒントにあふれていて、
誰もが親しみを感じられる内容です。
でもやっぱりその著作はややむずかしめ。
そんな著作を一冊ずつ取りあげて、
できるだけじっくり丁寧に紹介していきます。

 

いくら眠っているとはいえ、私たちは強い刺激を受ければ目を覚ます。このことは、目を閉じて睡眠中であったとしても外界から完全に切り離されているわけではなく、ゆえに、外界から受ける感覚刺激が夢の重要な源泉となりうることを意味している。

光、騒音、匂い・・・さまざまな刺激がありうる。そして、受けた刺激によって説明がつくような内容の夢を、私たちは日常的に見ている。たとえば、寝ているあいだ知らずに掛け布団が落ちていれば、裸で歩き回ったり、水の中に落ちたりする夢を見るだろう。知らずに飼い猫が腹の上で寝ていれば、大きな岩に押しつぶされる夢を見るかもしれない。眠っている最中に足の通風が始まったある患者は、宗教裁判にかけられ拷問される夢を見たという。

外界からの刺激が夢の内容に影響を及ぼすことは誰もが実感として知っていることである。それでは、刺激と夢内容の対応関係はどうか。それが明らかになれば、「計画的に刺激を与え、思い描いたとおりの夢を見る」こともできるはずである。しかしもちろんそんなことは不可能である。上にあげた例を見てもわかるとおり、睡眠中に受ける刺激がそのままの姿で夢に現れることはないからだ。別の夜には、飼い猫が腹の上に寝ていたせいで、ごちそうをたらふく食べて苦しむ夢を見るかもしれない。同じ刺激でもまったく違う夢が形成されるのがふつうである。

そもそも、眠っているあいだ、感覚刺激はなぜこのように「誤認」されるのか。研究家のシュトリュムペルは、それは「錯覚」のようなものだと述べる。たとえば、散歩中、遠くになにかぼんやりとみとめたとする。初めは馬だと思う。徐々に近づいていくと、馬ではなく牛だ、と思う。さらに近づいて、馬や牛というのは錯覚で、実際にはしゃがんでいる人だった、とわかる。つまり、ぼんやりとした印象を自分の中にある記憶像と紐づけながら解釈した結果、対象を誤って認識していたのである。

同様に、眠っている最中もまた、印象や感覚刺激を正しく解釈できるような状態にはなく、それらを「誤認」してしまう、というわけだ。シュトリュムペルによれば、そのさい、どの記憶群からどの記憶像が呼びだされ、どんな連想がはたらくのかは決まっておらず、「心の営みの恣意にゆだねられている」。

「われわれはここで二者択一の前に立っている」とフロイトは言う。つまり、感覚刺激による夢の形成に法則性はなく、これ以上の追究をあきらめるか、それとも、睡眠中に受ける感覚刺激は夢の形成にとって大した役割を演じておらず、ほかにもっと重大な要素があると推察すべきか。フロイトが選ぶのは言うまでもなく後者である。

「客観的印象がときによると実に奇妙きわまりない、思いもよらない形で夢の中に消化されているのを見るとき、以上説明したような夢理論や夢を作り出す客観的印象の力などには疑いを挿しはさまざるをえないような事情になっているのである。(中略)刺激に対して、選りに選ってこれほどにも風変りな記憶群が呼び起されたということは、むしろそれ以外の別の動機によって可能になっていたのではあるまいか。」

【参考・引用文献】
ジークムント・フロイト著、高橋義孝訳
『夢判断(上)』(1969年、新潮社)
pp. 45-58.